シンポジウム林衛先生分
第1回研究問題メーリングリスト・シンポジウム その4
「広がりつつある理工系出身者の活躍の場」
2000年3月4日(土)13:00~17:30
林衛氏講演
司会 次のご講演は、「科学ジャーナリズムからみた研究成果の社会還元──市民と研究者の共存共栄のための戦略は成り立つか」という題です。岩波『科学』編集部の、林衛さんにご講演をお願いいたしました。それでは林さん、どうぞよろしくお願いいたします。
以下、林衛氏講演
ご紹介いただき、ありがとうございました。また、このような機会を与えてくださいまして、たいへん感謝しております。
最近、ものすごく科学ジャーナリズムの現場が忙しいのですね。なぜ忙しいかというと、とにかく、科学の成果がどんどん出ています。また、科学と社会の接点で、ひじょうに重要な問題が、次から次へと起こっています。それに取り組むと、これはなかなか一筋縄ではいきません。
例えば、阪神・淡路大震災や、環境ホルモンの問題、地球気候変動の問題があります。そして最近起こったJCOの臨界事故のようなことが起こりますと、これは、例えばある1人に、ぱっと書いてもらって、それだけで見通しが良くなるということでもありません。ジャーナリストの力量がかなり求められてきて、なかなか忙しいです。 忙しいということと、いろいろありまして、今日はちょっと不充分な話になってしまうかもしれません。あとで、どんどん質問してほしいと思います。タイトルは、「科学ジャーナリズムからみた研究成果の社会還元」ということでした。ですが、自由に話して良いということでしたので、このタイトルはバツにします。
(笑)
なぜバツかというと、榎木さんにはそのようなつもりはなかったと思いますが、必ずしも、研究成果を一方的に社会に還元すれば良いというものではありません。
そのようなことで、「市民社会に広範に支持された科学の条件」というタイトルに変えて話をさせていただきたいと思います。榎木さんごめんなさい。
市民に支持された科学というものは、当然成り立ちうると、私は思っています。科学史の先生に見られたら怒られそうですが、現在を知るために、極めて大雑把にみてみます。
日本の科学がどのようにできたかです。福沢諭吉が幕末にヨーロッパに出かけていって、当時のヨーロッパの状況を知りました。そのころ始まってきた近代科学というものを、日本でも導入しようという気運が高まってできたものです。ですから、それ以前の科学の伝統は、必ずしも日本には根付いていないと思います。
マイケル・ファラデーの時代の科学と書きました。ファラデーは、王立研究所の会員に選ばれました。ですが、別に王や国家から研究費をもらってそれで研究をしていたわけではないのですね。自分でやりたい研究をするために、自ら研究費を稼がなければいけなかった。そこで、レディース・アンド・ジェントルマンを集めて、有料で、金曜講話会とクリスマスレクチャーを開いて、お金を集めました。それでまた、好きな研究をやる、ということをしたのですね。ファラデーにはさまざまな業績があります。19世紀のイギリスの科学というものは、そのようなかたちで、市民に支持されるという経験を持っているわけです。
当時はまだ、職業的科学者という者がほとんどいなかった時代です。科学の担い手というものは、やはり技術者が主でありました。技術の中でさまざまな問題が出てきます。それに、科学的な視点でもって答えを出す。それをまた技術にフィードバックしていくという、科学と技術が一体であった時代でありました。
暦や航海術のための天文台や、大航海時代以降すごく盛んになったナチュラル・ヒストリーのための植物園や動物園には、専用の研究者がかなりいました。しかし、物理や、現在メジャーになっている分子生物学のような研究者は、当然、当時はほとんどいなかったわけです。ファラデーが最初だったといって良いかもしれません。
技術の中の科学、と書きました。科学とは何か、と突き詰めて考えるときに、1つの答えがあると思います。実利や生きていくための必要性から、いろいろな問題を合理的に考える。そして、妥当な結論を出していこうという営みが、多分、大雑把にいったところの科学ではないかと思うんです。
では、誰がそれを始めたのかということになります。これはひじょうに難しい問題です。人類が人類になった最初のころから、そのような科学の営みは始まっていたのではないか、と。それと共に、人類が進化してきたのではないか、と思っています。
では、その福沢諭吉がみた当時の科学です。いろいろな科学があると思います。彼が西洋で見聞した科学、その後日本に導入されてきた科学は、どのようなものであったか。
当時、すでに科学、物理学などの研究は、すごく社会的に有用なものであると考えられていました。科学の研究・教育は、国・政府が公共の資金を使って支えて良いものである、となっていました。それは、産業革命以降、国力・生産力・軍事力を支えることに、科学が有用であるという認識が広まっていたからです。
福沢諭吉が行った直後の1870年代は、近代科学の大転換の時代でありました。高等教育機関が、イギリスやフランス、ドイツなどでできました。また、教科書や科学の体系がつくられていった時代でした。
したがって、日本の近代科学は、初めから国営で始まったわけです。当時の国の要請、日本の指導者たちが考えた、日本の社会のあり方の中に、科学は位置付けられました。官僚制度のもとで、科学と技術は、わりあい初めから分業されて誕生した。ここがポイントではないかと思っています。
日本に限りませんが、そのような科学は、20世紀には大発展しました。20世紀を、物理学の世紀だ、という人もいます。この時代は、かつてと違って、技術とは独立に科学研究を進めることから、新たな技術がどんどん生まれる時代でした。
その象徴的な例が、1つはマンハッタン計画であると思います。アインシュタインの手紙をきっかけに始まったマンハッタン計画は、当時の物理学の理論を、原子爆弾という技術に応用することに成功しました。その結果、アメリカの指導者は、物理学の大きな力を知ることになりました。物理学者に、自由と研究資金を与えることになったわけです。それは、世界の戦後の物理学の発展とも大きく関係しているわけです。
それが、冷戦終了によって大きな影響を受けました。例えば、SSC計画が中止されるという出来事が起こったということは、よく知られていることであります。
それがまた時代が変わりまして、21世紀は生命科学の世紀になるのではないかということです。今日の隅蔵先生のお話にもありました。遺伝子が特許になる時代になりました。バイオロジー、ライフ・サイエンスは、いわば国力ではないかと考えられるような時代になろうとしています。
今まで、この戦後の冷戦の状況を反映して、アメリカの科学財団の長官は、物理系・数理系の人ばかりでした。1998年にRita Colwellさんという、初めての生物学・生命科学の研究者の人が長官に就任する、ということが起こりました。また、女性ということでも、初めてだそうです。
このように科学というものは、時代と共にそのあり方や特徴や、社会的なインパクトを、どんどん変えていくものであると思います。
一方、日本の科学者はどのように考えているのかです。残念ながら、日本というものは初めから分業体制でありました。科学を社会にどのように根付かせていったら良いのかということを考える機会を、なかなか与えられることなくやってきました。
11月に、国立大学理学部長会が、国立大学の独立行政法人化に反対する声明を出したことを、ご覧になったかたもいるかと思います。私はあれを読んで思ったのは、今役に立たないものでも、将来は役に立つかもしれない、それが基礎科学なのだ、と。そのようなことを淡々と書いてあって、理学部も基礎工学部宣言をしたのではないか、となんとなく思ったりしました。
では、科学と技術は本当に別物なのでしょうか。有力な考え方の1つに、「科学とは、純粋な知的好奇心に基いて行われる真理探求の営みであり、技術はその応用にすぎない」ということを聞いたことがあります。
これは、一面の真実だと思います。物事はそんなに単純でない、と私が思うことがあります。そもそも先ほど言った通り、科学と技術とは一体であり、特に近代科学というものは、両者が強力に高め合うことによって進歩してきたからです。例えば、皆さんの研究環境の中でも、技術を応用した科学というものは、たくさんあると思います。新しい分析機器が出たから計ってみよう、とにかく何か新しいものが見つかるかもしれない、と思って計ってみよう、と。これはまさに科学への技術の応用、そのものだと思います。
それから、良くある考えの1つで、必ずしもこれだけでは良くない、と思っていることがあります。それは、知的好奇心による正当化ですね。何でもおもしろければ科学である。もちろんそれも、一面の真理ではあると思います。しかしそれだけでは、おそらく市民に支持される科学というものは成立しないのではないかと思っています。
もう1つ考えたい、検討したい、有力な考えその2は、科学は文化である、ということです。したがって、国の責任で持って運営すべきで、民営化はけしからん、という意見があります。これも、決して全てが間違っているとは思いません。ただ、なぜ19世紀後半から、科学に公的な資金が投入されるようになってきたのか、です。先ほど述べたような歴史的な事実を踏まえたら、必ずしも、科学は文化だから、ということだけですませられない事態があるというわけです。
また、文化というと、さまざまにあります。音楽や、スポーツや、文学や、囲碁や将棋など、いろいろあります。科学も文化だと思います。その中でなぜ、科学が尊重され、公的な資金の投入の対象になってきたか。そのことは、やはり、科学者あるいは科学に関わる人は、よくよく普段から考えていてよい問題である、と考えています。
さて、4、5年前に科学技術基本法が成立したあとに、たまたま通産省の科学技術政策にかかわる官僚の人と話をする機会がありました。彼が言うには、今まで、ダムや道路など、公共投資はひじょうにたくさんなされてきた。けれどももう、大体作ってしまった。これからの土木事業は無駄が多い。だからサイエンスなのだという理論・話でした。私はそのときに、とは言っても、実際に研究現場からのいろいろなアイデアがあって、初めて科学が成り立つものです。だからアイデアなしに、たくさん研究費を出すだけでは、それは無駄なのではないでしょうか。このように質問してみました。彼が言うには、いや、それでも良いのだ、と。多少の無駄はあるだろう、と。それでも、ダムや道路を作るよりは、将来の新産業育成に繋がる可能性が高いと思っている、ということが彼の答えでした。
その彼の答えに象徴されるように、科学のご利益として、現世、あるいは近い将来に役立つ……今の産業に役立つ、今の医療に役立つといったようなセールスポイントは重要なのだな、とそのときに思いました。
朝日新聞で当時文部省担当をされていた松島みどり記者に、いわゆる「理科離れ」問題について議論をしてもらったことがあります。彼女に言わせると、理科離れは大いに結構ではないか、と。私は子供のころから、理科が大嫌い。虫も物理もとにかくみんな嫌い。習わなければ良かったと思います。私には何も身に付いたものはないでしょう、と。しかし今私はこうやって、立派にやっているんです。みんなが勉強する必要はないでしょう、と。でも本当に良いのですか、と聞きました。すると、日本の産業力・経済力・国際競争力が低下するような事態だけは避けなければなりません、と。彼女は、その後国会議員になりました。
ここに集まっている人は、研究問題メーリングリストに参加していで、生化学会など榎木さんの専門に近い分野の人たちが多いと思います。ですから、きっと、科学に対してファミリアな気持ちを持っていると思います。ですが、そうでない人も結構いるのだな、と思っていただきたい、と。
私が思うに、現世のご利益で一番何が効いたかというと、確実性と、圧倒的な定量的予測性だと思います。先ほどの原子爆弾を作る。理論的にできるということと、実際に原子爆弾のような強力な威力を発揮させるものを作る、ということには、ものすごい開きがあったはずです。ところが、(どれだけのウランやプルトニウムを集めれば都市全体を一発で破壊できするのか理論的に求め)それを実際にやり遂げてしまったわけです。月にロケットを飛ばすということは、かなり古くからSFに出ていました。ですが、本当に理論通りに月にロケットを飛ばすことも可能になりました。それから、機能のわかっている遺伝子を操作することによって、思い通りの生き物を作り出すこともできるわけです。このような科学というものが、これからも求められていくことは、間違いないと思います。
しかし、これから研究者になったり、研究者でなくとも科学に関わる場面というものはいろいろあると思います。そのときに考えてほしいのは、それだけがセールスポイントではないのではないか、ということです。本質的に知りたい、という人々の要求に応えるということは、きっと当然のことだと思います。
それ以外に、ここに挙げたような2つの例を考えてもらいたいと思います。
冷戦下のヨーロッパでは、核戦争の脅威が高まっていきました。さまざまな国際的な努力をして、なんとかそれを回避しようと思ったのですが、なかなかそれは身を結びませんでした。そのときに、ヨーロッパの研究者たちが、気象モデルを使って「核の冬」という予測をしたわけです。それが、大きな国際的な行動に繋がったということです。その行動はまだ不完全かもしれませんが、これは事実だと思います。
それから、地球気候変動・温暖化の予測も、大きな枠組みで考えるべき問題だと思います。マルサスの人口論や、ローマクラブの警告がなされても、しかし、それではどうするのかということになります。先進国や発展途上国は、それぞれどのようなことをしなければならないのか。それを国際会議の場で議論するということは、なかなかできなかった。それをみた同じグループが、今度は気象モデルを使って、地球気候変動の予測をやったわけです。
これは、上とどこが違うかというと、どうなるかということについて、なかなか確実な答えが出ない、というところが違うわけです。例えば、ハワイで測った、今世紀の間の気候変動・気温の上昇をみると、これは確実に上昇している。CO2の濃度も上昇している。それにはそう考えるようにみえる。IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change、気候変動に関する政府間パネル)に集められる様々な研究成果によっても、それはどうも確からしい。しかしそれだけで気候が決まるのかというと、どうもそうではない。そうでないことだって起こりうるだろう、ということで、確実なことはいえないわけです。
それから確実なことがいえない例として、最近注目されている、環境ホルモンの問題があります。環境ホルモンといわれる化学物質が世の中に存在していて、その微量な化学物質が、人間の生殖作用などに影響を及ぼすらしい、ということですね。多くの人がここ数年の間に急速に考えるようになりました。しかしでは、どのような作用機構でそれが影響しているのか。どのような物質はその作用が強くて、この物質はないといえるのか。今、われわれの体にどのくらい影響が及んでいるのか。それらについての研究は、まだ途についたばかりです。
この2つの研究のパターンは、まず、国際的、あるいはグローバルな広がりを持っています。しかし、まだわからないことも多い。だから研究しなければならない。それと同時に、社会的な対応も考えなければならない。そのような問題を少数の研究者が、全世界に向けて発したというタイプの研究だと思います。
『奪われし未来』で重要なことのもう一つは、けっして少なくない数の事実から、本質でしかも社会的にもインパクトのある研究課題を提起したということですね。これは、例えばこれから研究者になっていくときに、2つの方向性があります。個別のデータを出すという研究者の役割。それを総合化して新たな研究の方向性を見出す、新たな問題のアクを見出す能力を持った研究者になる。この2つの、あるいは1人の研究者がやっても良いのですが、科学者のあり方としていろいろあると思いますが、そのようなことをわれわれに考えさせてくれるのではないか、と思います。
上の例は両方とも、ヨーロッパ、あるいはアメリカ起源の問題でした。では日本にそのような例はないのか、という目で見てきて、私が気付いたことがこれです。地震予知というものは、実現しない研究だから、無駄であり、やめるべきではないか。東海地震予知というものは、研究費を取るために、できないものをできると言って、無理矢理国民を騙してやってきたのではないか。このような批判がジャーナリズムのなかにも現れました。
しかし、その批判にはいろいろ問題があると思っています。まず、歴史的な事実を押さえていないということです。また、あまりにも簡単に、国民が科学者に騙されてしまうということを前提にした議論だと思うからです。
では、実際に、この東海地震予知防災体制は、どのようにしてできたのかというところをみます。まず、それ依然までと違うところは、研究が進んだという点です。1960年代、70年代にプレート・テクトニクスが成立しました。長い間、何百万年、何千万年も続けてフィリピン海プレートが、日本の下に沈みこんでいる、と。そこでは歪みが溜まっている、と。そこで起こる地震像というものは、具体的にはこうである、ということが、研究者の間でコンセンサスに近いものが得られるくらいまで進歩してきました。そのようなことは、研究者が研究者の間で留めず、しかも単なる地震のメカニズムを説明するだけではなくて、これは社会的にもたいへん大きな問題である、ということをはっきりとしてきたわけです。
一方、では東海地震予知をやるのかどうかということになったときに関するとどうでしょう。研究者の側から、積極的に、必ずしも予知は確実にできるものではない。まだまだ困難なことが多い。また、そもそも予知というものは、頼ってはいけないものである。もっと別の方法を考えなければならない、といったようなことについて、相当たくさん、発言がなされました。その発言の場所というのはメディアであり、あるいは国会の場であったわけです。そしてそれがジャーナリズムによって、日本の市民各層に広がっていったのです。知れ渡ったのです。
当然そのようなことが起こると、政治は動かなければならなくなります。この場合は、静岡県知事と、地元出身の原田昇左右(はらだしょうぞう)という、自民党の国会議員や静岡県知事たちが動いて、法律をつくるところまでいきました。法律ができても、まだ予知をやるくらいの……予知は簡単なんでね。観測網をつくって、情報を管理するシステムをつくってしまえば良いわけです。ですがそれだけでは、地震防災はできません。もっとさまざまなことを、やらなければいけない。
そのために、財源措置を求める動きが続き、1980年5月に、福田内閣が財源措置を認めたのです。ですから、1960年代にプレート・テクトニクスができ始めて、駿河湾地震説の問題提起は1976年です。その後、マスコミの報道があって、このようなかたちで法律ができたわけです。それによって、日本の地震対策の中で、唯一例外的に、地震が起こる前から地震に備えをしようという、東海地震予知防災体制ができたわけです。
また当時考えなければならない、社会的背景がありました。例えば、東海道新幹線の開業がありました。過密で複雑な都市圏ができてきて、地震に脆弱な日本社会ができてきた、ということもあります。これらも、東海地震予知防災体制が求められた背景であったのではないかと思います。
さて、東海地震予知のときは、比較的、日本の科学ジャーナリズムは機能を果たして、いろいろな成果が実現しました。しかしそれはむしろ珍しい例でありました。実際はそうならないことの方が多いわけです。
なぜそうなのかということを、考えてみたいと思います。日本の科学ジャーナリズムは、主に新聞の科学部ですね。1950年代、60年代に成立しています。当時、スプートニク・ショックがありました。また、中曽根元首相が科学技術庁の長官になって、原子力政策を推し進めようとした時代でした。そのようなときに、それでは、科学的な成果をきちんと伝えることをしなければいけない、と思って科学ジャーナリズム・新聞の科学部が誕生したわけです。
当時は、「科学技術は善」の時代でありました。例えば、鉄腕アトムや、その妹がウランちゃんでありました。また、最近計画中止・断念となりました三重県知事が表明した芦浜原発は、30何年前に建設計画が持ち上がりました。当時は、陸の孤島である芦浜に、こんなすばらしいものができる。日本のエネルギー・センターになる。そういったことで、すごく夢のある計画として捉えられていたわけです。この時代は、科学というものは善であり、科学の内容をよく知らない読者に、わかりやすく、科学者に代わって伝えることがジャーナリズムの仕事である。まず、このように認識されたわけです。
ところが、70年代になって、どうもそれではいけない状況が起こってきました。公害問題や、最近も起こった原子力の事故などがそうです。また、環境ホルモン問題も善ではない科学の影響の例です。 考えたいのは、科学者がどのような態度を取ったかです。科学と技術は別物であって、技術や社会の問題は、科学の問題ではない、という、ちょっと引いた態度をとるようになりました。啓蒙的に、誰か科学者はこのようなことを考えているから、それをうまく伝えようと思ったとします。ですが、そう思っても、現実の問題に対する答えが見つからない、という状況になりました。これは、科学ジャーナリズムの、社会における効果を、充分に発揮できない事態でした。
その典型的な例が、薬害エイズ事件ではないかと思います。先に感染が広がっていたアメリカの事例など、いろいろ考えなければならないような情報は、いっぱいあったわけです。ところが、ジャーナリズムは厚生省の報道や、日本の科学者の中にある賛否両論を、両論併記で啓蒙的に伝えることに留まってしまいました。
では、薬害エイズを防ぐために、どうしなければいけないのかという、まだ誰も……誰も、と言ってはおかしいですね。被害者になってしまった血友病の患者の人たちは考えていたのですから。ですが、その立場に立って考えることが、十分にできなかったわけです。
では、科学ジャーナリズムというものは、世界でどうなっているのだろうか。ここでは、1つだけお話します。 これは19世紀ごろの、科学者と科学ジャーナリズムの対話だそうです。『Nature』を創刊したロキャーという科学ジャーナリストが、当時可能になってきた太陽の黒点の観測を、公的な資金を使って専門の研究者をやとって行うべきではないか、と主張しました。これはすごく新しいテーマでおもしろいから、ぜひやるべきだ、と。今、ジャーナリストの人がそのようなことを言ったら、僕が研究者だったら大喜びでありがとう、と思うと思います。ですが、当時のグリニッジ天文台の台長は、研究というものは、天文台の業務を進めるためにアフター・ファイブにやるものである、と。趣味である研究を、本業にするなんてとんでもない。このように言ったそうです(『科学朝日』編:科学史の事件簿,朝日選書(2000))。
『Nature』は、創刊したときから、雑誌を編集するだけではなく、科学のあり方そのものを編集してきたわけです。今でも『Nature』は、編集者の力がものすごく強いです。世界中の研究者から投稿が来ると、まず編集部で読みます。これはインパクトがある、というと、研究者にレビューしてもらいます。細かい内容や最新の情報に間違いがないか、というところをチェックしてもらって、また著者との間でやり取りして載せる、というわけです。 ロスリン研究所のようなところとは、長らくやりとりがあったのでしょう。クローン羊誕生となると、これは大きな問題だ、ということで大々的に取り上げるわけです。それを受けて、日本でも、クローン動物の研究が始まるということです。このように、世界中の科学を「編集」しているのが『Nature』編集部なのだな、と思っています。
今、科学ジャーナリズムに寄せられる期待は、この2つでないかなと思っています。
今まで通り、単なる「啓蒙」ではなく、科学についてのより本格的な情報を、素早く、明快に伝えてほしいということです。これに関しては、研究者のかたからも、実は市民のかたからも、編集部に要請が届いています。 それから、「科学」という業界を離れ、より客観的に科学の成果を評価する。ただ報道するだけではなく、将来について一緒に考えてほしい、ということも編集部に寄せられる期待としてあると思います。これも、科学者と市民の両方から、このような期待があると思っています。
自由に科学の研究を行い、新たな真理を発見したり、新しい法則を見つけていく。これは喜びに堪えないことであります。その成果を知るということは、またその成果を知る人にとっても大きな喜びであるわけです。新しい成果を知るということは、個人的な楽しみであります。科学というものは、とても個人的な喜びをもたらすものであることは間違いありません。
しかし、これからますます科学研究が重要になってきます。現に、研究費がたくさん増えていく状況になってきます。そのときに考えなければならないことは、個人にとっての科学の喜びだけでなく、社会にとっての科学力・科学の力というものです。それがどういったものであるべきなのか、ということです。
今までの科学というものは、全部の要請ではなく、ある大きな、一部の要請に基いて発展してきたものである。それは、先ほど述べた中で、きっとわかっていただけたのではないかと思っています。しかし、その科学というものは、社会の中で、必ずしも支持されなくなっています。「理科離れ」という現象に、それが端的に現れています。
一方、研究自体が高度になったり、すごく最先端の技術を使って細かい違いを明らかにするようになってきました。しかし人々の物質観や生命観の変化とは、あまり関係のないものになっている面もあります。それでなかなか、社会にインパクトを伝えられなくなっているわけです。そのような面もあります。
それにもかかわらず、研究費というものは、日本では、今どんどん増えていっている状況です。この状況が続くと、一番心配なことがあります。つまり、社会からあまり関心を惹かれないにもかかわらず、研究ばかりがますます肥大していってしまう。そして、肝心の、解かなければいけない問題については、処置されないままになる。一方研究者は、ある利害に巻き込まれてしまって、社会全体に利害を及ぼすものに関して、何も発言ができなくなる。このような状況が来てしまうのではないか、ということです。これは、ますます「科学離れ」や「理科離れ」を助長する状況だといえるでしょう。
しかし、そのような今の科学の姿というものは、科学がそういうものであると、誰かが決めた、最初から決まっていたわけではありません。ある時代背景のもとに、そういったものになってきたものであります。ということは、まだまだ変えうるというところなんですね。その中で、先ほど言った通り、今までとは違った、大きな期待がだんだん高まっていることも感じています。
よく、一般の人はわかってくれない、と嘆く研究者と、お会いすることがあります。私は決してそうではないのではないか、と思います。基礎的な研究に理解が得られないわけでもありません。むしろ寛容であり、真剣にやってほしい、そのことをもっと話してほしい、と日本の市民も、一方で考えるようになってきているのではないかと思います。どうでしょうか。
例えばご家族に、研究をやっているが、このようなことをやっているがどうか、と聞いたとします。そんなばかなことやめなさい、と言われることもあるかもしれません。いや、なかなかおもしろいからもっと教えてほしい、と言われるかもしれません。あるいは同窓会に出たとき、ご自分の研究を紹介したときにどのような反応が返ってくるでしょうか。
それから、これは最近の新しい変化として、科学知識を持っている人が、社会全体に増えているんですね。方々にいるんですね。それは、戦後の大学教育の中で、進学率が上がっていって、研究は受けた。けれども、研究者にはならなかったという人が増えていることの表れだと思います。そのような人が、自分たちで勉強できないか。自分たちでたくさんのデータを集めて、新しい方向性を考えられないか、という「市民科学」を始めています。 隅蔵さんのお話で、具体的に、どのようなビジョンがあるのかということがありました。本当は話さなければいけない、と思いますけれども、かなり個別的な話になりますので、置いておきます。やはり、私の希望を最後に述べさせていただきたいと思います。
社会が変わっていくときというのは、誰か少数の人が気付く。そして気付いたまま、多くを動かす、ということもあります。日本の科学というものは、ある意味そのような面が強かったと思います。科学者と技術者を分業させて、官僚がそれをコントロールしていくというわけです。一方、開かれた大学が重要であるということは、大学改革の中でも、謳い文句としては、どの大学も掲げるようになってきました。それではいけない、市民に支持される科学というものを考えなければならない、ということが高まっていると思います。
これから、ここに集まっている皆さんは、いろいろなところで、自分の研究や職業を通して、科学に関わりあいを持てるようになるでしょう。あるいは、職業とは無関係に、科学と関わりあいを持てるようになると思います。その際に、自分の持っている、個人の楽しみである科学の力があると思います。それをぜひ、社会の力に変えていけるような道筋を、いろいろ考えていただければ、と思います。
その際は、『科学』もご参考にしていただければと思います。以上です。
講演は以上です。
司会 どうも、ありがとうございました。普段、私達のように、実験をしている研究者や、大学院生が、あまり考えないような問題について触れていただき、本当にありがとうございました。それでは、質問・質疑応答に入りたいと思います。質問等あるかた、いらっしゃいますでしょうか。
質問 タイテックという会社で、タイテックマガジンという雑誌を編集している富田と申します。私自身は、ゲノムのようなものに関して、流れや、今後どのよう役にたっていくのかということについて、啓蒙していきたいと思っています。そのための活動を、今後やっていこうと考えています。何度か少しやってみたのですが、単語の部分から、ちょっとわからないという話がありました。今後どうやってやっていこうかという、今、戦術レベルでもういっぺん、方法論を考え直しているところです。そういったものに対してアドバイスなどがありましたら、ぜひ、ご意見を聞かせていただきたいと思って、質問しました。
林 一般の人々が科学を理解する上では、多分、ゲノムのことについて、何冊か本を読んだり、ちょっと専門論文を読んでいくと、ジャーゴン(専門用語)の塊であるということがわかってきます。その中で、重要な単語と、必ずしもそうでない単語があります。単語を知ることよりも、その背景にある本質を伝えることが重要である、ということはだんだんわかってくると思います。そうなってくると、単語の問題は、1つ解決してくると思います。それから重要なことは、単に啓蒙ということではありません。自分の問題として、どのようなゲノム科学であってほしいのか、ということを一緒に考える。その方が、一方的に成果を伝えるよりも、いろいろな人にとって興味深い問題になるのではないかと思います。
質問 ありがとうございました。
質問 質問いいですか。例えば、クローン羊の問題でも、生命科学が進んでいったら、当然あのようなことになると推測することができると思います。そのときには、当然、科学者どうしの間でも、活発なスクリーニング・モデルというものを完成していく必要があります。けれども、それはやはり、科学ジャーナリストだけでなく一般の中でも、いっぱいそのような議論をすることで、一般社会に対して認められる技術かどうかを議論する必要があると思います。要するに簡単にいうと、一般市民への成果をオープンにする、ということです。例えばこのような有名な雑誌でこのような論文が出た、だからこれはこうである、と。例えばこの病気にはこれが効くというものを、すごく断定的にするものがある。だから、これでこの病気は解明された、ということを、いつもセンセーショナルに発表するという傾向があると思います。そうすると、一般市民は、ひじょうにミスディレクションされてしまう。果たして、ジャーナリズムにおいて、正義性を強く打ち出して良いのか。要するに、科学者どうしの間で、科学に対する権限、このような可能性がある。そのことを、直接それについて、周りと一緒になって検討するということが、実際に行われていると思います。果たして、お互いにそれぞれ検討しあっていることを報告することに意味があると思います。ある方向について、メッセージ性を打ち出してしまうことは、1つ問題点があると思います。そのようなことについて、ジャーナリストの目から考えてほしいと思います。
林 それは深刻な問題です。まず、本題で述べるべきでした。科学ジャーナリズムは、まだ人材不足なのです。例えば、新聞の科学部も、それなりに組織されています。ですが、政治部や社会部などの花形に比べるとまだ弱いです。岩波書店の中でも、『科学』編集部はなかなか弱くて、人を減らせという話はきます(笑)。いくらがんばって部数を増やしても、人を増やすところまでいくのはむずかしい。ですから、優秀な科学ジャーナリストが、これから増えて状況を変えていく必要があるのです。
先ほど、ポスドクが増えているという話がありました。その中から、知識と意欲がある人がどんどん入ってくれることが重要だと思います。そのことが、報道の質を変えていくという力になることが、私は大きいと思います。何か報道があると、それに対する反応はさまざまです。ピンと来ない人もいれば、過剰に反応する人もいます。過剰に反応するところだけをみると、やめておこうかな、という意志が強くなります。そうすると、啓蒙的に事実を淡々と述べる、と。しかし、その事実を淡々と述べただけでは、その意味はなかなかわからない状況になってしまいます。ですから、やはり、いろいろな人が、いろいろな角度から、高度な内容をきちんと伝えていく。それが、結局はごく少数起こっている、しかし社会に影響を及ぼすばかな出来事を防ぐことになると思います。それから、倫理の問題はひじょうに重要です。日本の場合は、官僚と研究者が中心になって、科学技術会議などでいろいろと議論をしてきました。本当ならば、科学ジャーナリズムがその機能を果たして、もっと議論をしていかなければいけません。いわゆる官僚や研究者も、それなりの時間の中でやっているわけです。漏れる問題や足りない問題も、多々あります。そのような問題に切り込んでいくことも、これからの科学ジャーナリズムの役割だと思っています。
司会 すみません。時間が押しておりますので、あと1問ほど、ご質問等ございますでしょうか。
質問 科学ジャーナリズム全体の話になりました。そのときに、今、『科学』という、代表的な科学雑誌をやっていますよね。それのモラル的な、科学ジャーナリズム・科学雑誌の役割といいます。しかし、学術雑誌でない、そのような科学雑誌というものは、日本の将来の中で売れないことがありますね。実際の編集をしている立場から言って、現状はどうであるとか、ありますか。
林 どの国にも、先進国には、その国の科学の中身を紹介したり、その科学の中身を本格的に議論する科学雑誌があります。日本だけ、科学雑誌がマイナーな位置付けに終わっているんですね。その原因は、多分、出版社にあるのではないか、と思っています。やはり、出版社に力量がなかった。努力をしてこなかった、ということが、1つ大きいのではないかと思います。それから、もう1つ難しい問題があります。口の悪い人にいわせると、プランテーション・サイエンスという言葉があります。欧米の研究者、アメリカやイギリスが中心ですが、長らく科学先進国をやった国の研究者が出したパラダイムにのって、それに合うデータをつくって、「はい」と英文で書いて提出してオーケーをもらって、欧米の科学雑誌に掲載されるということが多い。専門の壁や言葉の壁があるため、そのような専門的な知識がどんどん増えているにもかかわらず、なかなか多くの人が触れる機会がありません。そのような状況が起こっています。先ほどの『Nature』の例ではありませんが、専門誌の科学も、編集部が見識を持ってやります。その意味では、さほど差はないと思っています。やはり、国内の『科学』に書いても、それは科学の業績として認められない、という状況はひじょうに厳しいものがあるなと思っています。『Nature』や『Science』が成功していることと、日本の科学雑誌が成功できないでいることの違いは、もう1つはそのようなところだと思っています。
司会 どうもありがとうございました。以上で林さんのご講演を終わらさせていただきます。
林衛氏のセクションは以上。
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